『KID A』/レディオヘッド (079/100)
2009年 07月 19日
「クリープ」のクリップを、ビートUKではじめて観たとき、
曲はいいけど、またマッチョなバンドだなあと、おもった。
トム・ヨークが裸でギターを弾いていた。
なぜか、アメリカ人のバンドだと勘違いしていた。
先入観か。
おれのアメリカ人のイメージは、裸でギターを弾くヤツなのか。
「ポップ・イズ・デッド」で、少し変わったなと、おもった。
でもまだブレイクとゆーほどでもなく、彼らの存在も特別だとはおもえなかった。
セカンドアルバムの制作が延びた。
その間に来日公演があって、
友人に誘われたけど、まだそこまで興味がなかったので断った。
いまだに行けばよかったと後悔している。
セカンドの『ザ・ベンズ』がでた頃には、すっかりマッチョなイメージは無くなっていた。
とゆーか、飛び抜けたよーに変わっていた。
ビートバンドでも、
ただ、いい曲をやるだけのバンドでもなく、音楽表現に対して意識を傾けるようになっていた。
ポップアートみたいな。
「ハイ・アンド・ドライ」がいちばん好きな曲で、
「フェイク・プラスチック・ツリー」のクリップが、また良かった。
次のアルバム『OK コンピューター』では、
さらなる高みへ踏み出し、そのキャリアを確立させた。
シングルも聴いて、すげえなぁと、おもった。
安直なメッセージに縛られるのではなく、流行を追うわけでもなく。
でも、
個人的にはセカンドのほうか好きだったので、案外、冷静に受け止めていた。
この時、はじめてライブにも行った。
ギターのヒトが、ギター以外の楽器を一生懸命いじっていた。
そして、『キッド A』。
前のアルバムの印象があったので、あまり期待はしなかった。
彼らのことだから、良いものを作るのは当たり前として、さてどーやろと。
油断していた。
アルバム一曲目、「エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス」。
そのイントロ3秒の電子音に、見事にやられた。
たったそれだけの音なのに、
それは何かを訴えていたし、何かが込められていた。
何が。
この、何が、こそ、『キッド A』である。
不安、予感、因果、悪意、恐怖、シグナル、ベクトル、システム、、、。
具体性と曖昧の同一。
無機質な電子音がエモーショナルに響くのは、
名をもつと失われる、「何か」を表現しているからだ。
まるで預言書を手にしたような、恐ろしさがあった。
このアルバムが2000年に作られた意味を、我々は容易に見つけることができるだろう。