『エイリアン2 完全版』、と、『エイリアン3 完全版』、を、観た。
2013年 08月 29日
WOWOWの映画塾にて、
『プロメテウス』に町山さんのデンプシー・ロールが炸裂、完全フルボッコ状態になっておりますが、
それでも嫌いになれない、この映画。
自分で「子犬」使っておいて道に迷うとか、
血液を浴びて謎の凶暴化とか、取り返しのつかないことをやってくれてますが、
ま、リドリー・スコットならば、何らかの形で誤魔化してくれるでしょう。
気長にディレクターズ・カット版を待つことにしましょう。
とゆー流れで、
エイリアン・シリーズの『2』と『3』の完全版を観ましたので、いつもの感想です。
そんなわけで、『2』の完全版。原題、『Aliens』。
これはだいぶ前に観た記憶があるのだが、その程度に曖昧なので、観返すことにした。
記憶もごっちゃになってるので、
それ、オリジナルにもあるシーンだよ、と、気が付いてもそっとしておいてあげてください。
それが優しさです。
まず冒頭、リプリーが救出されるシーン。
脱出ポッド(?)の壁を破り、リプリーを発見。
その後の治療や、リプリーの娘が亡くなっていること(写真も出るんだね)、
エイリアンの悪夢に悩まされていることなど、かなり時間を掛けて状況と心境の変化を描いております。
とくに娘に関する部分は、シリーズを通しても大事な伏線となるシーンです。
次に惑星LV-426。
エイリアンに襲われる前の生活ぶりが、短いけれどちゃんとあって、新鮮。
ニュートの家族とかも出てくるし、
じつはこの家族がエイリアンの船へ探索に向かい、お父さんが最初の犠牲者になるのだね。
この辺は完全に忘れておりました。
そんで、スラコ号。
この船が何を積んでいるのか、海兵隊はどんな奴らなのか、
その辺もしっかりフォローしてて、いくつか伏線にもなってますね。
で、惑星へ到着するんだけど、ここもあまり記憶にないカットがありまして、
あ、こんなゆっくり移動してたんだ、と、気付きました。
驚いたのは、
まともな戦闘が始まるまで、それこそエイリアンが出てくるまで、一時間は経過してたこと。
映画のほぼ半分、何も出てこないって、そりゃ編集するわな。
こっからラストまでは、ほとんどオリジナルと変わりないとおもうけど、
こーして観てみると、かなり大胆にカットしてるな、と。
それもプロローグ的な部分ばかりで、
結果、エイリアンとの戦闘がメインとなるよーな方針に決めたのだろう。
その選択は、
この二時間以上ある完全版のボリュームからすると、間違いなかったとおもいますが、
見慣れた今となっては、こっちの方がメリハリもドラマもあって、個人的には好きですね。
そいや、あの役立たずの隊長と女兵士が爆弾で自爆するシーン。
吹替だと女兵士が「見直したよ」って隊長に言ってたとおもうんだけど、
この字幕だと「ほんとダメな男だねぇ」と、諦めのニュアンスになってるのな。
こちらの完全版は、初めて。
存在してることすら知らんかった。
つか『3』自体、二、三回ぐらいしか観たことがない。
個人的には世界観がはっきりしてて、嫌いではないのだが、
まあ、積極的に観たいものでもないな。うむ。
でわまず、
こちらも冒頭、リプリーが救出されるシーンに追加のカットがあり、どんな状況だったのか、よくわかる。
星の酷い有り様も。
んで、エイリアンが牛に寄生してて、アレ? とおもったら、
元々は犬に寄生していたのを、完全版では牛に変更したそーな。
ナゼに??
かなり大ゴトな改変だし、思い切ったことするなぁ…。
つーわけで、
当時はインパクトがあった(気がする)犬からエイリアンが生まれるシーンは全カットされてるし、
作品の売りの一つでもあった、疾走するエイリアン目線からのカットも、最期のちょっとだけになった。
(オリジナルはもっと多かったと、おもふ。)
牛のエイリアンになっても、何が変わったってわけでもないし、なー。
そんで他にも新しいシーンが追加されてるらしいんだけど、残念ながらよくわからんかった。
そもそもよく覚えてないし、
会話ばっかりだから、地味なのな、『3』。
エイリアンの出番も少なくなってる感じだしー。
こんなに緊張感がない映画だったかなと、(完全版には)疑問におもふ。
んで、やっぱりシナリオが、よくないです。
完成するまで紆余曲折あり過ぎたみたいなので、何とも言い難いのですが、
おそらくフィンチャー監督は、
この完全版では、リプリーがその運命を受け入れるための物語にしよーと、想定したんじゃないのかな。
牛のエイリアンがいなくても成立する話だしね、じつわ。
あ、ラストのエイリアンが突き破って出てくるシーンも、修正してありますね。
コレさ、
完全版を観てから、オリジナルを観たほうが、びっくりするかもな?
変わった作りだね。
とゆーのが、久しぶりに『2』と『3』を観た感想なのだが、
リプリーが鬼子母神になる話、なのな。エイリアン・シリーズって。
この説は以前からよく語られているけど、こーしてまとめて観ると、なるほどなと、おもふ。
『1』で具現化した恐怖(エイリアン)を知り、
『2』では実子を亡くし、忘られぬ恐怖に怯え、
それを打ち消すために、新たな子(ニュート)を救うため、恐怖(エイリアンと、その卵)を焼き殺した。
『3』では再び子を失い、皮肉にもエイリアンの宿主(母)となり、その運命を受け入れ、命を絶つ。
印象的なのは『2』での、リプリーがクイーンと初めて対峙した場面で、
あそこで卵を焼き払う必要はなかったかもしれないんだよな、
クイーンは兵隊を抑えているし、基地は爆発するんだから。
だから火を放ったのは、リプリーのエゴだとおもうなー。
そして、呪われるわけだ。
そんでもって。
オマケで、『プロメテウス』の吹替、通称ゴーリキ版も観たんですよ。
まー、
ねー、巧くはないよね、ゴーリキ。
ほとんど棒読みで、感情も出てないし、
受けと応えが未熟だから、言葉がそれぞれの場面でもつ意味を表現できていない。
まあ、セリフが多いキャラでもないので、
鑑賞に耐えられないレベルでもないのが、救いでした。
しかしね、
これはゴーリキの演技力の低さを責めるのではなく、こんな仕事をぶち込んだニンゲンの責任だわな。
パッと見ただけでも、
この女優とゴーリキの声がミスマッチなのは、誰の目にも明らかだろう。
(ノオミ・ラパスは79年生まれ、ゴーリキは92年生まれ、な。)
これが世に云う、ゴリ押し、ゴーリキ押しとゆーものなのか。
こんなコトをして、何かプラスにでもなるとおもったのだろーか?
甚だ、疑問である。
以上である。
(ゴーリキ・ザ・クラッシャー)