『マーガレット』、を、観た。


 つねに森を映しながら、木とゆー個人の姿を追う、とても特徴的な演出の映画。
 ニューシネマ的なタッチを感じつつ、九十年代後半辺りの独自性も窺える。

 主人公は、リサとゆーハイティーンの少女。
 両親は離婚しており、舞台俳優の母と、まだ幼い弟と三人で暮らしている。
 生活に不自由はなく、年相応の不満を抱えながらも、気楽に青春を謳歌していた。
 そんなある日、些細な理由からバス運転手の注意を逸らし、歩行者を巻き込む死亡事故を起こしてしまう。
 リサは咄嗟に「歩行者が信号を無視した」と嘘をつき、そのまま警察の調査も収束する。
 被害者の遺族や友人らと出会い、次第に罪悪感を感じるようになったリサは、
 証言を撤回し、真実を話すことで、運転手と共に罰を受けることを望むのだが…。

 とゆー、
 人生の生き方についての、ヒューマン・ドラマでございます。
 先にも書いたけど、
 全体を映しつつ、物語はリサを中心に展開するので、他者(やその心情)は極力省かれてゆく。
 例外的に母ジョーンのエピソードは挿入されるが、
 これは二人の関係が特別で、交えることでそれぞれを補足させる意味があるのだろう。
 例えば母と娘は、未来と過去の姿でもあるし。
 (同じ家族の弟や、別居してる父の描写はかなり限定されている。)

 では何故こーした極端とも云える形となったのか。
 それはリサとゆーニンゲンが、
 自己中心的っつーか自己完結型のニンゲンだからだ。
 まわりが見えず、理解も出来ず、
 そのくせ自分の正当性や願望を感情に任せて吐き出し、それが正しく、また尊重されるべきものだとおもっている。
 つまり、超メンドクセー、クソガキなんだな!
 だってね、
 バスの事故の原因は、
 運転手の気を逸らして職務を妨害した、明らかにコイツのせいなんだけど、
 コイツが主張するのは、
 自分にも罪はあるけど、運転手にも責任はあるから、アイツを解雇して!
 っつーんだよ?
 なんつー身勝手な要求なのか、と。

 もし運転手の男が解雇されて職を失ったら、誰が彼の家族を養うの?
 リサはその現実に気付こうとはしない。
 深い関係となった信頼する男性教師へ、一方的に、中絶したことを告げる。(中絶が事実かどーかは、語られない。)
 亡くなった女性の友人からは、
 「勝手にあなたの物語に巻き込むな! ヒトの思い出を汚すんじゃない!」と叱責される。
 これがリサとゆーニンゲンの姿であり、物語なのだ。

 この観客の感情移入さえ拒むよーな、排他的な物語は、
 ラスト、
 意外なモノで、(僅かながら)成長し、救われる。
 それはリサが一度は「押し付けがましい(直接過ぎる)」と否定したものであったが、
 頑なに閉じてしまった彼女の心を、ゆっくりと解き、
 通じ合えず、途切れたとおもえた母との関係をも修復してゆく。

 誰にでも起こりうる、
 特別ではない、一人だけの物語は、こーして幕を閉じる。

 って、
 なんかまるで名作みたいだけど、コレ、クソ長いんだわ。
 二時間半!
 二時間半、性格がネジ曲がったムスメの、自分勝手な振る舞いを観るのは、なかなかだよ!
 ずっと、このコは精神に疾患があるのかなぁって、おもって観てたしな。
 被害者の友人っつー女性も、
 これまた我の強いヒトで、他人の話をぜんぜん聞かねえの。
 聞け! と。
 黙れ! と。
 んで、聞け! と。
 でもこの映画に出てくる女性って、みんなそんな感じだから、
 うーん、
 監督さんのイメージなんかなぁ。女性の。

 某ブログで、
 「盲目的になったアメリカの正義&政治そのもの」と指摘してたのは、なるへそ~とおもいました。
 学校でディベートするシーンもあるしね。

 そーそー。
 予告のコピーで、「真実はわたしの闇に光を与えた」ってあるけど、そーゆーのじゃないから。
 じゃ、ないから。

 リアルよりも、現実に近い、そんな映画ではありましたよ。


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by y.k-ybf | 2014-06-25 22:09 | 映画 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


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