13年、村上隆初監督の、映画。
久しぶりの大型新人。勿論、悪い意味での。
『サマーウォーズ』と『ポケモン』を合わせたよー…なって、それは『デジモン』か。
デバイスも使うしな。
『デジモン』に『サマーウォーズ』を注入して実写映画にしたら、まったくベツモノのカンフー宗教映画になった、感じ。
わたくしも何云ってるのかよくわからんのだが、それほど間違ってはいないはずだ。
この愉快な映画について、ストーリーに沿って感想でもと試みたが、
映される画と、
語られるコトと、
そこから受け取るモノとが、どれも若干ズレているので、無理と判断しました。無理。
この作品は基本、実写の映像全てにCGを載せているだけではなく、
何かしらの加工処理、エフェクトが掛けられているため、
例えば懐かしい風景や、見覚えがありそーな光景でさえ、
超現実的とゆーか人工的とゆーか、見えているモノとはベツモノに見えちゃうんだな。
それ自体は表現なんで悪いわけではないが、
例えば、
震災の津波で父親が亡くなるシーンがあるんだけど、
その津波もCGで、何故かカラフルなゼリー状の物体になっているのは、如何なものか。
津波らしくないし、周囲もCGで彩られているので、違う意図でもあるのかとおもえば、そんなこともなかったり。
演出のラインが、じつに掴み難い。
CGの出来映えに関しては、良く出来ているとおもいます。
デザインは、ちょっと…イビツかな。
アメーバと妖怪のラクガキを混ぜたよーな感じで、
えーと、これも好みなんかなぁ。
主人公の少年マサシは転校先で、「くらげ坊」と出会う。
くらげ坊は、とある研究所から逃げ出した「ふれんど」と呼ばれる、
う~ん、と、
子供の負の感情をエネルギー源とするデジタルのバケモノみたいなモン。
スマホみたいなデバイスで、どこでも出し入れできる。
倒されても死んでも生き返ることができる。デジタルだから。
(冒頭で、「一匹逃げたぞ!」とか云うんだけど、じゃ、デバイスで戻せばいいのにな。)
研究所には、年がら年中黒いマントを羽織ったイタい連中がおり、
大人や学校には内緒でデバイスを子供たちに配り、バトルをさせることで負のエネルギーを集めているのであった!
なんたる地道な戦略。そして、ちゃんと秘密を守る子供たち。
コレ、
普通にオモチャとして販売した方が効果的な気もするが、、、。
クラスメートと馴染めないマサシはイジメにあう。
イジメに使われるのもふれんどで、ニンゲンにも直接的なダメージを負わせることができる。
子供たちがゲームバトルへ夢中になったり、
執拗で凶暴なイジメをする姿はかなり誇張されており、何かの批判が見え隠れする。
この、見え隠れする何かは、所々に用意されておりまして、
震災やら反原発やら、
メッセージが宗教臭くて鬱陶しいなとおもっていたら、ホントに新興宗教ネタが劇中に出てきた!
そのまんまかいな。。。
で、
この宗教団体が研究所へ押しかけるんですよ。
「なんや訳の分からないことすんな!」って。 なんて正論!
つか、
研究所で黒マントの連中が風水の魔法陣みたいのでモンスター作ってるのを、宗教団体が抗議するって、
逆じゃないのか、普通? いいのか、そのアングルで。
ま、そこは些細なトコロとして。
バトルの大会ってのが、急に告知されます。メールで。
(確信はないんだけど)どーやら強いヒト限定に告知されたよーで、
集まったのは、、、子供三人。うち、一人は黒マントにスカウトされた子。
ぜんぜん人気無いのな、黒マント。
あんだけデバイスバラまいて、子供二人しか来てくれないの。
つか、二人でも大会始めちゃうから、驚いたけどな。
んでこのスカウト的に呼ばれた子ってのがまた、急に登場した孤児院の子で。
ゲーム機を改造できちゃう才能があって、
イジメっ子とも知り合いだけど自閉気味でコミュニケーションがとれないとゆー、
後半にいきなり出すにはチート過ぎるお子さんで、
しかも、コイツが使うふれんどはモンスターとか妖怪じゃなくて、改造して作ったリアル等身のメイドの女の子。
いや、エロいメイドの女の子(パンチラ有り)なの。
世界観台無しっつーか、ルールもメチャクチャ。
何考えてんだろ、黒マント。いや、村上隆。
(このメイドの子は、村上隆がアート作品として発表してるナニカですな。)
んでんでクライマックスは、
黒マントの連中が集めたエネルギーで作った巨大モンスターとの対決になります。
黒マントは巨大モンスターを使い、日本を破壊するのが目的だったのです!
震災で十分破壊されてる気もしますが、それじゃ足りないみたいなのです!!
えーと、
それから斉藤工が死んだり死んでなかったりコピーロボットになったり、
孤児院の子がシステムを短時間で解析する神業を見せたり、
アレがきっと弱点よっつったらホントに弱点で、あっさり巨大モンスターを倒しての、ハッピーエンド。
メデタシメデタシ。と。
ここまでならね、
このままだったら、まだよくある子供の友情と冒険と、淡い恋の物語だなーっつって納得もできるんだけど、
この映画は困ったことに、
精神の歪みっつーか澱むっつーか、何かが宿ってるよーにおもえちゃうんだな。
先にも云ったけど、隠されたメッセージみたいな。
なんでそんなことをおもったかってーと、
ほぼ子供がメインの映画なのに、子供が可愛くない。愛らしくない。
言い方を変えるなら、魅力的に撮られていない。むしろ怖い。
ヒロインの子ですら、怖い。
イジメっ子側の子供らなんか、醜悪の極みみたいな表情をするし。
こんな愛嬌のない、ぶさいくで憎たらしい顔ばかりの、子供メインのドラマなんて覚えがないわ。
や、子供ってそーゆーもんだ。
子供の視線からは、こー見えるんだ。
そーゆー意図は、わかる。
だったら、主人公とヒロインぐらいどーにかしろよ、ともおもふが、それはさておき。
マサシとくらげ坊が出会って、友情を育むってシーンがあるんだけどさ、
コレ、
楽しく遊んでるよーに見えないんだよな。
マサシが蹴ったり叩いたり、木にぶつけたり、くらげ坊を虐待してるよーにしか見えないんだけど?
これも、子供ってそーゆーもの、なのか。
イヤ、「子供」の偏った印象を押しつけてるだけじゃないの?
これは子供の自然な姿なんかじゃなくて、
子供ってこーゆーもんさってゆー、大人の偏屈なイメージだよ。
イメージとメッセージとゆー、エゴの押し付け。
それがこの映画全体に帯びている、気持ち悪さの正体じゃないのかな。
なので、
そーゆーカルト映画としては、じつに愉快な作品であります。
異常なぐらい多用されるスローの演出とか、意図不明な半分田んぼのアングルとか、
ドラッギーにすらおもふもの。
しかも!
この白昼の幻想はまだ終わらない。
エンドロールの後に、まさかの『めめめのくらげ2』の予告が!!