『ばしゃ馬さんとビッグマウス』、観た。


ばしゃ馬さんとビッグマウス 初回限定生産コレクターズ・エディション(本編DVD+ビジュアルコメンタリーDVD+特典DVD 計3枚組)

麻生久美子/安田章大/キングレコード

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 ちょいと昔、
 わたくしは、千代田工科芸術専門学校の文芸科とゆートコロに通っておりました。
 文芸科とは、
 雑誌の記事や編集、シナリオ、作詩等、文芸と呼ばれる全般の勉強をするトコロでありまして。
 要するに、
 作家とゆーか物書きとゆーか、モノツクリを目指しておったわけでございます。
 そもそも千代田工芸は、願書が届いた順に入学できると噂の専門学校で、
 必然的に、集まってくる奴らもいろいろなわけですよ。
 それこそばしゃ馬さんもビッグマウスもごろごろいたし、
 オマエは何のために通ってんの? って奴も珍しくはなかった。
 大雑把に云ってしまうと全員モラトリアムみたいなもんで、
 それなりの目標や夢をもっていたし、自分の未来に期待もしているけど、
 それをどーやって形にするのかが、判らなかった。
 と、おもふよ。
 しかし当然とゆーべきか、
 現実はなかなか上手くは行かず、望んだ道を諦めた者や、別の道へ進んだ者などが、殆どだった。
 (同期で、今も業界にいるヒトは、いるのかな…?)

 わたくしも当時はコンテストへ応募したり、出版社へ持ち込みへ行ったり、会社訪問したりと、
 それなりの活動はしておりましたが、
 なんやかやありまして、
 いまでは下町の八百屋さんで仏花売ってますよ。

 まあ~~~、そんなもんですわな。

 そんなもんのヤツが、
 この『ばしゃ馬さんとビッグマウス』を観ると、あるあるあるあると既視感のコンボ状態になるのです。
 呑み会で泥酔しながら後輩を説教しまくった後、常磐線を豪快に乗り過ごして茨城の僻地まで連れて行かれるとゆー、
 思い出したくもない記憶も甦る始末。
 あの時、電車賃をまけてくれた駅員さん、アリガトウ。

 話を映画に戻しますが。
 才能とゆー言葉が繰り返し出てくるけど、才能があるヒトほど「才能」なんて言葉は使わないんだよな。
 そんな無駄なことも云わず、気がつくと、どんどん先へ進んでゆくの。
 (作中で成功する彼女は、じつに「らしい」けど、
  プロデューサー?と寝た、と匂わす描写は余計だったかな。それは他のキャラでよかった気がする。)
 「才能」とは、
 才能が無かったヒトが使う、とても有効な方便。
 良い意味でも、悪い意味でも。
 だからそこに拘ることも、迷うこともない、んだけどねー。
 そんな「才能」とゆー言葉を捨てるトコロまで、出来れば描いてほしかった。
 そこはちょっと物足りなかったな。

 ニンゲンには身体のなかにエンジンがあって。
 例えば運動のエンジン、勉強のエンジン、創作のエンジン、、、とかがあって、
 それが高性能だったり、弱かったりとゆー個性もあって。
 鍛えて育てることも出来るし、チューンナップも出来る。
 このエンジンが才能とゆーモノ…ではなく、
 エンジンを動かす為のガソリンが、才能みたいなもんかなと、わたくしはおもふのですよ。
 動くことが、
 動き続けることが大切、だと。
 だから、止まることは難しくて、苦しいのだ。だってまだ動けるのだから。

 最期、
 二人が自分自身を題材としたのも、自然な流れでよかった。
 きっとあの後、
 二人はいいシナリオが書けるよーになったと、おもふよ。

 夢は捨てなくても、破らなくてもいい。
 胸にそっと、忍ばせておけばいいのだ。
 いつか、と。
 永遠に来ないかもしれない、いつか、と、眠らせてあげるのだ。

 と。
 いろいろ余計なことまで思い出させてくれた、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』。
 麻生久美子と安田章大の主演二人は、
 どちらも個性的で、リアルな存在感が素晴らしかったし、
 細かいシーンの端々まで演出している、吉田恵輔監督の手腕も見事でした。
 シリアスに傾き過ぎず、ユーモアで弛る過ぎず。
 カラオケで、アジカンの「リライト」を歌わせたりね。も、歌詞がね。

 秋野陽子のキャスティングは、おそらく『片翼だけの天使』オマージュだしね。
 素敵。


 とゆー、
 かなり偏った感想になってしまいましたが、
 偏った生き方をしてる方には、特別な作品になったことだろう。


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by y.k-ybf | 2015-08-18 10:03 | 映画 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


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