『クリーピー 偽りの隣人』 ※ネタバレ有
2016年 06月 24日
黒沢清作品とゆーのは、とても個性がつよく、独特の成長を遂げた作品であるため、
そこを「理解」して観ないと、
背景には常に誰かがいるし、動いている。
カメラは死角から「影」を映し、人物は視角の外へ外へと移動しよーとする。
情報が切断され、継ぎ足される。その反復が、異様なグルーヴを生む。
(車の「特撮」移動シーンは、お約束。)
とはゆーものの、
狂気の隣人を、香川照之が怪演。
『ヒメアノ~ル』でも描写されていましたが、
会話が通じない、
世の中のレールから弾かれたよーな気分になる。
(「マインド・コントロール」とゆー言葉を使用しなかった点は、よくぞ使わなかったと云っておきたい。
しかし不満な箇所もいくつかあって、
まず、あの家の構造に誰も疑問をもたない点。
隣のガレージ(?)に繋がってるよーだけど、
この家で、もっと遊べたのではないだろーか、と。
(黒沢清らしい美術と云えば、まったくその通りで。
最初に刑事(東出昌大)が踏み込んだ時点で、「ライン」を越えている。
そこが分かり難い。)
それと、
身内大好き警察なのに。
注射(クスリ?)が万能過ぎるだろって点は、
ま、同じぐらい香川照之の暗示が有能なのだろー、ってことで納得できました。
西島秀俊演じる主人公は、
サイコパス(精神異常者)への興味、理解が抑えられず、
結果、警察を辞めている。
その後、一般の立場でありながらも未解決事件の不審さを疑い、その謎を追い始める。
何故か。
それはこの主人公もまた、サイコパスだからだ。
主人公に投げつけられる非難の言葉は、別の隣人の言葉と重なる。
「ヒトのココロがない」、と。
ラストのある行為も、彼ら二人だけが共通している。
本作は、
サイコパスが同族に惹かれ合う(と同時に嫌悪する)、
『キュア』の変則的続編な位置付けの作品ではないかとおもふのだが、如何であろうか。
とゆー仮定で観ると、
また異なる作品に見えますよ。