ノーベル賞制定記念 まんが・まつり! 五本。
2016年 11月 27日
コミックを原作とする、原恵一監督のアニメーション。
江戸末期、
葛飾北歳の娘、お栄が主人公。
江戸の日常とゆーか、風俗を細かく描写するドラマで。
庶民の息遣いが感じられるよーな作品に仕上がっている。
スズメの逃がし屋とか、面白い商売だ。
貧富だけではなく、身分の違いが生活水準に大きな影響を与えているのだろーが、
(快適かはさておき。)
「絵」が如何に重要で生活に根付いたものなのか。
豊かではない暮らしを、
日本人の漫画好きな本流を見たよーな気もしたよ。
「ムーミン」と云えば、
「日本のムーミンはケンカばっかりするのね」(原作者・談)でお馴染みの、
東京ムービー版を見慣れて育ったわたくし。(そしたら、後期は虫プロが担当してたのね。)
本作はフィンランドで作られた、トーべ・ヤンソン生誕100周年記念で製作されたアニメ映画。
なので、
とは云え、わたくしも記憶が定かではないので、
何が違うとか、気になるコトもなかったのですが。
ミィとミムラが初めてムーミン谷へ訪れるトコロから始まったのは、ちょっと意外。
そこからやるんだ、と。
基本、ムーミンのパパがいちばんの問題児で、
いちばんまともだったのは、ムーミンでした。
ストーリーに関しては、まあ、さておき。
絵柄が原作に…近‥‥‥くもないよーな気もするが、
絵本みたいなアニメになっていて、お国柄の特徴を楽しめる映画でしたよ。
一応、ストーリーの説明には「中年の危機」を表現とあるんだけど、
中年に限らない話だとおもふけどな。
ある種の精神疾患とまでは云わないけれど。
他人の声が男女問わず全て同じ声に聞こえるよーになってしまった中年男性が、
とゆー粗筋が意外とキレイにまとまったのだが、
簡単に云うと、一夜だけの不倫の話。
なのだが、
正直、わたくしも理解できてるのか判らない。
判らないのでスルーする。(※駄洒落です。)
人類の英知インターネットで調べてみても、皆が判らないことだけはよく判った。
某ブログに、
「あの女性は男の幻想で、じつはセックスもしておらず、ダッチワイフを相手にしていただけ」
さすがに無理があるかなともおもふ。
この映画には、日本製のカラクリ人形みたいなダッチワイフが登場する。
まるで「クーロンズ・ゲート」にでも出てきそーなデザインの芸者ロボで、しかもボロボロ。
つかね、
問題はこの男の、排他的な自意識のよーなもの、ではないのかな。
いくら珍しいからって、子供へのお土産にダッチワイフはダメだろ?
勝手な理由で別れた元カノを呼び出すとか、
結局世界を均一化させているのは、他者を興味の外へ切り捨てる自意識なんじゃないのかな、と。
さておき。
ストップモーション・アニメとしては、
(リアル過ぎて無意味なコトまで)やっているのは、
「誰かの」ではなく、
傑作かどーかはさておき、
(「ミュージカル」ではなく、音楽パートが挿入されるスタイルなので「音楽映画」。)
まず選曲が「ナイアガラ」方面で、渋くてズルい。
そこに湯浅政明のドラッギーなアニメーションがノるのだから、まあ詰まらないわけがない。
全曲全アニメ、力の入れようが半端なく、
こーゆー偏った作品こそ、情操教育には不可欠なのだよ!
ドラマパートもしっかり泣けるドラマを抑えてて、手堅い作りになっております。
DVD以降ソフト化されていないとゆーのは、勿体ない。
フジはしょーもない新作を作るお金があるのなら、
まずこーゆー優れたアーカイブを管理すべきだとおもいますよ。
まず問題なのは、わたくしが原作の絵本を読んでおらず、特に思い入れもない点なのだが、
作中、
何があったのか程度は説明してくれたので、助かりました。
この絵本を動かしたよーなストップモーション・アニメのパートがまた素晴らしくてね、
これだけで一本の作品に仕上げてほしかったぐらいだ。
CGで描かれる現代と「その後」は、
悪くはないんだけど…、悪くはないんだけど、とゆー感じ。
完璧な人生設計に窮屈な女の子の心情も判るけど、
システマチックな大人側の世界も、それなりに魅力的だったりするんだよね。
つか、
そこをやらないのなら、後日談の意味はないんじゃないかな…。
皆、大人になるのだから。
と、イイコト風なコトも云えたので、許します。
飛行機の件とか。