サトシと読みます、『聖の青春』。


【チラシ2種付き、映画パンフレット】 聖の青春  SATOSHI NO SEISYUN

KADOKAWA

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 29歳の若さで亡くなった実在の棋士、村山聖の壮絶な棋士人生を描く。

 体重を増加させて病状の村山聖を演じた松山ケンイチと、
 まるで憑依したかのよーに羽生善治を演じた東出昌大の、演者バトルこそが見所であり、メインでもある。
 二人の役柄へのアプローチを想像するだけでも楽しく、
 それが見事、作品に結実している。

 真剣の刀でまさに「殺し合う」かのよーに基盤へ向かう、村山聖。
 一方の羽生善治の手には、扇子が一本。その小さな扇子に、彼は殺気を宿す。
 個性の塊のよーな二人が対決するシーンは、
 静かで、熱い、
 緊張感を生み出していた。

 試合から離れると、
 逆に二人の姿は初々しいデートでもしてるかのよーで、なんとも微笑ましくなる。
 そんな二人を(演じる二人を)愛でる映画として、申し分ない。

 しかし。
 村山聖、最期の4年間にフォーカスを絞ったが為に、
 切り落とされた背景や時間は少なくもなく、ダイジェスト的な印象を受けたのも否定できない。
 作品の方向性の問題であり、
 時間的な制約もあるとおもふので、あくまで個人的な不満点ではあるけども。

 やはり。
 もうちょい競技としての将棋を説明すべきだったんじゃないかな。
 あまりに「将棋」そのものがスルーされているから、
 「上手い」「強い」「凄い」の意味がほぼ観客に伝わらず、
 「凄いと云ってるから凄いのだろう」としか理解できない。
 「奨励会」や「大会」、「試合」「称号」などもざっくりと流すので、
 将棋初心者の方には、かなりキツかったのではないだろうか。

 そんな説明必要か? との反論もあるだろーが、
 試合が楽しめないのは、将棋の魅力が伝わってないのと同義なので、作品として明らかにマイナスである。

 また村山と羽生が何故、そこまで将棋にのめり込むのか。
 一応その心情はセリフで語られるが、描写が足りているとはおもえない。
 それがもう一つの問題、切り落とされた背景だ。
 正直、
 子供時代やプロになるまでを、ここまでバッサリ削るとは予想外だった。
 映画のパンフレットには、
 村山聖(と羽生善治)の年譜が掲載されており、それを見るだけでも削られたエピソードの多さに驚く。
 (実際の村山には兄弟がいる、とか。震災のエピソードなど。)

 個人的に疑問をつよく感じてしまふのは、谷川浩司名人の存在の希薄さ。
 わたくしの世代でもその名を記憶する谷川名人。
 本来は村山と羽生両者の最終目標であり、ラスボス的な存在でもあるのだが、
 名人を羽生が撃破したことにより、二人の直接対決の意味合いが変化してゆく。
 このドラマチックな展開を削ってしまったのは、
 映画的にどーなのよ? と、勿体無かった気がします。

 とゆー個人的な不満はありますが、そーゆー作品ではないのでね。
 「二人」の対決を楽しむべき、と。

 あと、パンフは買うべき。


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by y.k-ybf | 2016-12-03 20:29 | 映画 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


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