『TAKESHIS’』

TAKESHIS'
/ バンダイビジュアル




 かなり偏見で書いてみるが。。。。


 北野武には、市井人の抱く静かなる狂気を描いた傑作『3-4X10月』があるが、
 『TAKESHIS’』の構造はそれに倣ったものだ。
 しかしフォーカスが「北野武」自身に向けられることで、
 興味深い、私小説的な作品となった。

 映画全編を支配しているのは、二律背反である。
 「もしも、売れていなかったら、どんな人生だったろう」
 仮想は疑問となり、不安に代わる。
 「売れている自分こそが、幻ではないのか」
 次第に現実感が不安に蝕まれてゆき、
 悪夢に根付いたような恐怖に怯え、ドッペルゲンガー的な敵意に曝されるようになる。

 無意味と言っていいほど繰り返される、血腥い銃撃戦は、罪悪感に囚われた懺悔のようだ。
 映画の中の話ではあるが、
 過去の作品まで引用するのは、殺戮の連鎖への後悔と抵抗ともおもえた。

 そしてこの映画には、北野武にしてはめずらしく二つの「愛情」も描かれている。
 一つは、岸本加世子。
 昔の話でもあるので監督との関係については触れないが、
 あのようなキャラクター、あのような撮り方は、
 特別で親密な感情によるものとしか、おもえない。
 「どうしてくれんのよ」とゆーセリフは、
 「どーにもならねえ」とも聞こえるし、
 それをフィルムで撮ることで、答えてるようだ。

 単純に「恐妻家」、「女性への恐怖」とも捉えられるが。
 
 もう一つの愛情は、
 この作品に限ったことではないが、常に裏側、奥底へ隠されていたもので、
 それが『TAKESHIS’』では暗喩とゆーには明白なぐらい描かれている。
 同性への愛情である。
 北野武の映画を何本か観た方ならば、
 監督の同姓への愛情、強い憧憬には気付かれているだろう。
 女形の役者が使われるのも、明らかに意図的な、気がする。

 女性と男性、ここでも背反しているわけだ。

 北野武が苦楽に転がる姿を、
 北野武が嬉々としてカメラで撮る、その両者を同時に写したのが、この映画である。

 とても判りやすい作品なので、気楽に観てほしいものでございます。
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by y.k-ybf | 2006-09-04 11:01 | 映画 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


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