『ディランを語ろう』


 去年の暮れに買った、
 浦沢直樹と和久井光司の対談集『ディランを語ろう』を、やっと読み終えることができました。

 はっきり言って、偏ってるところもツッコミが甘いところもあったけど、
 ディランのオリジナルアルバムを一枚も持っていない、
 わたくしのようなニワカには、ちょうどよい本でありました。
 浦沢の書き下ろしもよかったし。

 基本的に、対談はディランのディスクグラフィをなぞって進められるわけだけど、
 自然と話がアメリカの音楽史になり、日本のフォーク史となるので、興味深い。
 日本の、
 日本人からのボブ・ディランが、なんとなく、判った気がする。
 とくに、わたくしはビートルズが好きなので、
 洋楽はUK中心に考えるところがあるし、
 日本のフォークもリアルタイムではないので、知らないことがたくさんある。
 それが逆側からと云ったらなんでありますが、
 アメリカ側から解説されるのは、新鮮でありました。
 最先端の音楽はアメリカで生まれ、イギリスに伝わって洗練されて、
 その二つがタイムラグで、ほぼ同時に日本へ伝わってきていた。
 って結論は、
 少々、乱暴ではありますが、
 日本の音楽が、何故、こーもイビツに進歩していったのか。説得力はあります。

 ま。
 そんなことはどーでもよく、ディランの入門誌としては、適当なのでは、なかろうか。

 ディランといえば、
 あの特徴的な鼻声、
 ゲロゲロと唄う声が、聴くヒトを選んでしまいますが、
 そのへんの解説(あくまで推測だけど)もあって、
 読み終えると、まあ、ゲロゲロケもええかなと、
 おもえたり、おもえなかったりいたします。

 気になったのは、ビートルズが過小評価されているところか、な。


 ボブ・ディランがウディ・ガスリーに憧れたように、
 社会は、ボブ・ディランにウディ・ガスリーを求めていた。
 しかし、
 「彼」になってしまった彼は、
 すでに「彼」ではない彼であって、
 フォークを持てと責め立てる社会と、
 それでもエレキを握るディランの姿を見ていると、
 怒りにも似た、何とも言い難い感情が湧いてくる。
 己の正しさは、己でしか決められないものだが、
 それを他者に振りおろし、打ちつけたときに、
 それは、悪しきものへと変わる。
 正しさとは、
 他者の正しさを読み解き、理解することである。

 ディランが、ガスリーにならなかったのは、
 彼が、ボブ・ディランだから、なのである。

 とてもシンプルな答えなのだ。




ディランを語ろう
浦沢 直樹 / / 小学館
ISBN : 4093592020
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by y.k-ybf | 2008-06-28 22:33 | 本棚 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


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