『大日本人』を、観る。そのいち。
2007年 06月 08日
松本人志の『大日本人』を、観てきた。
朝の一回目の上映で、お客さんは十人ぐらいでした。。。
まず、
言っておかなければならないのは、これは映画ではないとゆーこと。
では、何なのか。
コントなのかとゆーと、そーでもない。
映画でも、コントでもない。
この微妙な感じは、
以前、ビデオで発表された『VISUALBUM』を初めて観たときの感触と、よく似ている。
つまり、
乱暴な言い方をしてしまうと、『VISUALBUM』の劇場公開版なのだ。
コレわ。
なので。
おもしろいのは、当たり前のよーに、おもしろい。
「よく分からない」と言った感想も聞かれるけれど、
それはただ、楽しみ方を判っていないだけで、批評でも何でもない。
分かり易く、作品として似ているものを挙げるならば、
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が近いかもしれない。
あれはストーリーとか、展開とか、説明とかを省く愉しみがあって、
『大日本人』も基本的にはそんな作りになっている。
だから不満があるとすれば、
説明がもう少しほしかったし、結末も物足りなかった。
しかし、それは映画としての不満であって、
けっして、おもしろさを削ぐものではない。
このへんが映画ではないとゆー理由であり、喜劇(コメディ)でもないわけだ。
内容がまったく公表されなかった理由も、すぐに判った。
中身なんて、ないからだ。
わたくしは、ネタバレとか容赦ないニンゲンなので、
ぜんぶ書いちゃってもいいんだけど、さすがにこれは書けない。
と、ゆーか、
例えばの話になるけど、
コントの中身とオチを、発表前に説明するバカがいるだろうか?
その行為に、どんな意味があるとゆーのか?
て、
ことなのだ。
拾いあげ、深読みをするならば、いくらでもできる。
優れた表現者は、
意図的ではなくても、そーいった意味合いを自然と作品の中へ組み込んでしまうものだけど、
この『大日本人』に関しては、
と、
ゆーか、松本人志に関しては、余計なことだとおもう。
とにかく、アタマを空っぽにして、気楽に観るのが正解だとおもいやす。
とりあえず、
予告編とかで得た情報からは、見事に裏切られましたけども。