11//03/11/
2011年 05月 02日
3/11
春の彼岸に備えた仕入れで、春日部の市場に。
生花の荷物を車に積んだ後、
隣の食品・日用雑貨を扱う倉庫へ向かった時、震災が起きた。
震度は、正確ではないかもしれないが、
後日、ネットで調べてみると、春日部は5強であった。
最初はかるい横揺れで、倉庫に積んである荷物や、台車を押さえる余裕もあったが、
次第に揺れが大きくなり、立ってもいられなくなった。
台車が転がり、あちこちで車の防犯ブザーが鳴り響き、
電線はびゅんびゅん音をたて、波打っていた。
倉庫の荷物は次々と崩れ落ち、
ペットボトルは、ダンボールを突き破って飛び出してきた。
地面のつなぎ目は裂け、逆方向に動きだし、
近くの貯水池からは、大量の水が吐き出されていた。
外に集まってきた人らは、
皆、不安そうに携帯を握り締めたまま、空などを見上げているが、
電話は全く通じず、メールもダメだった。
(この日は、しばらくしてから、一度だけメールは繋がった。)
強い余震が続いたので、30分ほど様子をみてから車で帰宅。
途中、建物から人がワラワラと出てくると地震だと判るので、
車を一旦止めて、やり過ごす。
民家の屋根瓦が崩れている。
とくに、頂点の部分が、みんなやられていた。
(これは屋根瓦の組み方に問題があったようで、壊れた家の建造時期がかなり重なるそうだ。)
自宅に被害は、ほとんどなかった。
おれの部屋がめちゃくちゃになったぐらいだ。
近所でも屋根が壊れたり、お店の大きなガラスが割れたところもあったが。
関係ないみたいだが、
空が、片側は晴天で、反対側は真っ暗な雲で覆われていた。
そして雪まで降った。
余震は、夜明けまでずっと続いた。
離れて暮らしている兄は、電車が止まって帰宅できず、飲み屋に一泊したそうだ。
3/12
朝から余震。
松戸の青果市場へ、仕入。
とにかく荷物が届かなくて、苦労していた。
輸送も配達も、両方で難しいと。
帰宅後、嫌な予感がしたのでガソリンを入れに行く。
土曜の午前には、まだ行列はできていなかった。
新聞の朝刊が配達されていない。
トラックが配達所まで来ないのだ。
結局、夕方になってやっと朝刊が、遅れてスポーツ紙が配達された。
新聞屋の社長に聞いたら、こんな事態は初めてだと言った。
それでも、暴走族は走っていたが。。。
3/13
余震のなか、お彼岸用の花作り。
危険なので暖房は控える。
あちこちのガソリンスタンドに行列ができ、本格的な品切れが目立つようになる。
地震で墓石が倒れたとの話を聞いたので様子を見に行く。
うちのお墓は無事であったが、
傾いたり、倒れたりしているものも少なくなかった。
神社の鳥居や古い石碑も、崩れているものがあった。
明日、停電があるかもと、夜になってから急に知らされる。
知らんがな。
うちは仕事で4台の業務用冷蔵庫を稼働させているので、停電はただ事ではない。
止まるのならば、それなりの対応をしなくてはならないし、
お彼岸前なので荷物も多い。
どーすんの?
つーか、どーなんの?
そんなこんなで、1日が終わった。
(この中途半端な注意に、結局、1ヶ月近く悩まされることになるわけだ。)
あ、テレ東はいち早く、通常の放送を始めました。一部だけど。
さすがや。
めちゃくちゃになった、おれの部屋。