映画のまとめ その十
2013年 03月 07日
アーノルド・シュワルツェネッガーとゆー、筋肉モリモリの俳優さんが主演のアクション映画。
1996年の作品で、監督さんが『ブロブ』や『マスク』のチャック・ラッセル。
これもいままで見逃してきた一本で、まあ、やっと観たわけですよ。
証人を保護する凄腕のエージェントをシュワノルドが演じておりまして、
タイトルの「イレイザー=消去する者」ってゆーのはその呼び名で、
予告とかで使われている武器の名前ではないんですな。
ちなみに、あの武器はレールガン。
電磁力でアルミの弾丸を発射する云々ってゆースゴい銃なんだけど、
その銃に付いてるスコープが、
遠距離の壁でも生物でも何でも透かして見ることができて、
どっちかってーと、そのスコープの方がスゴくね?
ところで1996年ってゆーのは、シュワノルドの人気に陰りが見え始めた頃で、
『ターミネーター2』が91年、
『ラスト・アクション・ヒーロー』が93年、『トゥルー・ライズ』が94年だから、そのあとの作品になるわけだ。
『イレイザー』を観て、もしやとおもって調べてみたら、
同じ年には『ミッション:インポッシブル』が公開されているし、『セブン』、『ID4』なんかもこの年。
要するに、
シュワノルドが飽きられたってだけじゃなくて、
ヒーロー像や、映画作りそのものまで大きく変化した転換期でもあったわけですな。
『イレイザー』に、スカイダイビングのシーンとかあるんだけど、
もー合成やら撮影が、かなり厳しいですよ。今観ると。
ま、そんな微妙な作品ですが、
動物園の水槽が壊れて、ワニが逃げ出し大暴れするシーンがあるんだけど、
何の躊躇もなく、あたりのニンゲンに襲い掛かってバグバグ食べ始めるの。
スゲーっとおもって観てたら、
シュワノルドがそのワニを撃ち殺して、「このハンドバッグめ!」とか言うの。
殺してからの捨て台詞。
あとね、
シュワノルドが何かのプログラムを解くのにキーボードを打つんだけど、指一本でタイプしてんの。
タイプしてるふりをする、シュワノルド。
そんなステキなシーンもあるので、楽しい映画ですよ。
あ、ジェームズ・カーンが悪役で出てるので、そっちが好きな方にも。
エクソシスト系のモキュメントホラー、なんだけど、かなりしっかり映画になっております。
モキュメントにする意味が、イマイチよくわからない。
ストーリー的な目新しさもないんですが、
悪魔払いのシーンはお約束を守ってて、迫力ありました。
関節ボキボキーとか、ぐボエェーッとか。
ぐボエェーッは、血ヘドを吐く様です。
あと、悪魔が日本語喋ってました。タノシミマショーって。
なので、エクソシストモノとして不満もない出来で楽しめたんですけど、結末が、まさかの尻切れトンボ。
「続きはWebで!」 ってアドレスがでたのには、ひっくり返ったよ。
とーとーコレをやる映画がきたか、と。
ま、正確には続きとゆーより、続編のためのまとめサイトみたいなもんだけど、
ストーリーが中途半端なのは変わりないし。
まだ動かしてもいないキャラとかもいて、シリーズ狙いなのがミエミエで気に食わない。
お金とってるんだから、もっとちゃんと一本で作れ。
ロクに思い入れもないのにオカルト番組を作り続けてる撮影チームが、
とある廃墟で撮影中に閉じ込められて…、
とゆー、以前紹介した『ザ・スピーク』と内容がソックリ。
POVのモキュメントホラー。
しかし出来はこちらの方が、若干、マシでしたね。ちゃんと怖かったし。
架空のオカルト番組が如何にもなのや、ダメ出しされる霊能者とか、愉快だったし。
ただね、
怖いってのも、もー仕掛けが多くて、お化け屋敷みたいな怖さになっておる。
こーゆーのが作られるってことは、そろそろジャンル的に限界なんだろななぁ。
それはさておき、
コイツらってなんでわざわざ心霊スポットに来て、撮影とかするんだろ?
ぜんぜんオカルト信じてないのに。
信じてないのに、怖さは感じるのかね?
『スイス・マシーン』
アマゾンにソフトがなかった。。。
駆け上がるよーに山を登る、登山家ウエリ・シュテックのドキュメント。
雪山だろーが絶壁だろーが、ザックザクと登って行きます。
三十分しかないんだけど、その凝縮された感じが、その登山スタイルとシンクロしてて、丁度良い。
山の撮影も、時間の割にしっかりしてますよ。
コーエン兄弟の、
ジョージ・クルーニー主演の、んー、ドタバタコメディですな。いろんな意味で。
原題は『Intolerable Cruelty』なんだけど、
日本人の感覚的には『ディボーズ・ショウ』の方が分かりやすいです。離婚劇って。
結婚、離婚も他人から見れば滑稽な喜劇だねってことだとおもいますが、
むしろ重要な意味を含んでいるのは「愛情」や「お金」ではなく、じつは「仕事」なんじゃないかな。
裏テーマ的な。
ジョージを恐れさせ、縛り付けているのは「仕事」だし、
愛情が芽生えた時に、真っ先に捨てるのも「仕事」であった。
仕事のない女性は、代わりの「仕事」を見つけているし、
財産目当てで離婚を繰り返している女性は、それが「仕事」なのだ。
そしてこの映画の結末も、当然、「仕事」で終わっている。
愛情よりも、よっぽど雄弁なのだ。