デヴィッド・フィンチャー監督のスリラーってことで、
これわ観たいなとチェックしていたが、
149分とゆー上映時間にたじろぎながらも、観てきましたよ。
上映時間が長いと、一日の上映回数も減るから、タイミングも難しいんですよ。
五回目の結婚記念日の朝、
ニック(ベン・アフレック)は荒らされた居間と、妻のエイミー(ロザムンド・パイク)の姿がないことに気付く。
誘拐か? 失踪か?
事件として調査が進む中、事態はおもわぬ展開を見せ始めて…。
とゆーね、
粗筋だとこれ以上云えなくて、
フツーじゃね? とおもふかもしれんが、
まったくフツーではないストーリーへと転がってゆくのです。
が、
それでもテーマは普遍的な、誰にも共通するモノだとゆーのが、
白眉っつーか、この「ゴーン・ガール」って物語の凄いトコロだ。ちゃんとそこに収めるんだってのが。
そのテーマとは、「結婚」であり、
もっと広く解釈するなら、「男女の関係」について、だ。
二人が一緒に暮らすって、どーゆーことなの? ってことを、
物凄いハタ迷惑な方法で表現している。
エゴイズムを、より強いエゴイズムで叩き潰す、みたいな、な。
コレ、
既婚か未婚かで、だいぶ捉え方が変化するとおもふ。
わたくしはまだ独身なので、
支配欲とかイニシアチブについてかなぁ、とか、ぼんやり考えながら観ていましたけどね。
そんで。
映画の中で気になったトコロが二つありまして。
一つは、
勝手に写真を撮りながら、
「消してください」と頼んでも、
「私の写真なんだから、何に使おうが関係ないでしょ!」と逆ギレするバカ女。
それと、担当の刑事がいつも飲み物を持っている件。
この写真を撮ったクソバカ女は、後のマスコミによる印象操作を象徴してるんだけど、
要するに、
「私たちが(安心して)守りたいモノ(好ましいモノ)」と、
「私たちが(安心して)叩くモノ(嫌いなモノ)」を生みだしてるわけだ。
中身や事実など後回しにして、タグ付けとカタゴライズを完了させる。
「まるでリアリティ番組だな」とゆー言葉が、劇中でも何度か使われていた。
当人には逃げ場のないリアルだとしても、「観客」には「リアリティなショー」なのだ。
では「観客」とは誰かとゆーと、本人以外の市民すべて。
彼らにとって、
その「事件」は「演者」の「ショー」みたいなもので、ビールとスナックを手に見守っているわけだ。
だから、
あの刑事はずっと飲み物を持っている、んじゃないのかな。観客の一人として。
(もう一人の制服警官の男性は、
調査や情報よりも、自身の勘や思い込みを優先して口走る。まるで推理ドラマを観ているかのよーに。
確認はしてないけど、
主人公のニックとエイミーの二人の「演者」は、極端に食事のシーンが少なかった気がするし、
明らかに、ファック・シーンの方が多かった。)
ではこの「演者」と「観客」の関係とは何かとゆーと、
単純にマスコミとネット批判でもあると同時に、
作品本来のテーマ、「結婚とは?」へちゃんと結び付いてるんだな。その辺、ネタバレになっちゃうけども。
とゆーよーなコトを、わたくしはおもいましたよ。
「何かを演じて生きなくてはならない。それが出来ないのなら、一度死ななくちゃね」
みたいな な。
ロザムンド・パイクは、たぶんこれで賞レースもいいところまでいくだろうな。
あの監視カメラでのシーンは、観てて絶句したもの。
ガンダルフに似てるとか云って、申し訳なかったです。
それと、タイトルの「gone」を調べてみると、
「いなくなった」、「失われた」って意味なんだけど、
他には、
「~に夢中」とか、「妊娠」とか、「死んだ」とかも含むそーでね。
映画観た後だと、ゾッとしましたわ。。。