『SHARING』
2016年 08月 18日
しかし、
まるで対岸の火事を眺める興奮を宥める為に覆い被せたよーな「絆」には、
抵抗を感じるし、心地の悪い違和感が生じる。
頼んでもいないのに心境を代弁されるよーな、
物凄い早さで日本中に拡散していると、2016年の今こそ、つよく感じることがある。
その「意思」は、何処からくるのか?
『SHARING』は、
感情の共有について、心理学とオカルトがせめぎ合うよーに描かれている。
「いい話」にも「恐い話」にも映るのは、その為だ。
特殊な製作過程があったにしろ、
この映画に二つのバージョンが生まれたのも、必然としかおもえない。
二つ「以上」ある、とは、
『SHARING』は、本来複雑であるはずの感情を、まざまざと見せ付ける。
偶然とか奇跡的に、とか云うのは監督やスタッフ、キャストに大変失礼なのだけど、
結果、この映画を「ホラー」に仕上げたのではないか、とおもふ。
まるで発明に近い感覚で。
後半の、
瑛子と薫が対面するシーンで、涙を流すのは瑛子だったとゆーのは、
とても象徴的な名場面で。
立場が逆だったなら、作品の印象も違ったことだろう。
(泣く予定もなかったらしいけど、それが本当なら、更に…。)
特撮や音響も素晴らしかった。
あの迫力も、また感情の起伏の一つだとおもふと、
なんつー斬新な映画なのか。
ホントに、今年のうちに観れてよかった。
そんな映画でした。