『水曜どうでしょう』


 『水曜どうでしょう』(以下、水曜)のボックスを買う。

b0048532_20515414.jpg


 観る。

 たいへん、おもしゅるうございました。



 『水曜』の噂は、一、二年前から聞こえてはいた。
 しかしそれがテレビなのかラジオなのかすら判らない状態が長く続き、
 クイック・ジャパンの特集を読んで、やっと詳しい情報を知ることができた。
 のだが、
 イメージ的に『電波少年』の亜流のような、
 悪く言えば、毛が生えた程度といった印象が拭えずにいた。
 で。
 ボックスが出るってんで、一抹の不安を抱えながらも、
 それはそれでネタになるかななどと、
 買ってみた、観た。
 それがなんか、
 異様に、
 おそらく、異様、という表現が現在もっとも適しているであろう、
 おもしろかったのだ。

 とりあえず、
 ローカル局の番組なんで一応、簡単に説明いたしますが。
 大泉洋と鈴井貴之の二人のタレントをメインに、
 様々な「企画」を行い、
 ディレクターの藤村とカメラ担当の嬉野のスタッフ二人が同行し撮影する、番組である。

 さて。
 こんな説明ではさっぱりだとおもわれますが、
 じつは、
 これ以上の説明はたんに「企画」の説明になってしまい、
 番組のおもしろさの本質から離れてしまうのです。
 それがこの『水曜』の異様なところで、
 他のバラエティ番組とは異なるところだとおもうのです。
 わたくしは。

 『水曜』のポイントは、「企画」ではなく、出演者とスタッフの「四人」にあります。
 (わざわざ裏方であるスタッフの名前を挙げたのも、そのためです。)
 ぜんぶのプログラムを、当然、観たわけではないので推測になってしまいますが、
 メインになる企画は、「サイコロの旅」というものです。
 東京から千歳へ帰るため(『水曜』は北海道のローカル。)、
 サイコロの出目でルートを決める。
 ルートの中には直帰できるものもあれば、
 反対方向の四国や九州や西日本方面や四国や九州や四国や九州や四国や九州などもあり、
 行き先は100パーセント運まかせで、北海道に帰るまで延々と繰り返される。
 少々変わってはいるが、
 抜きん出て特殊だとは言い切れないシンプルな企画である。
 インパクト的にも日本国内限定なので強くはないし、
 何よりゴールへ進むことが第一条件なので、
 必然として「移動」が主にならざるを得ない。
 今現在のテレビ番組として、
 改めて考えてみても地味な印象を受けてしまうのだが、
 そこで重要になってくるのが、
 大泉、鈴井のタレントとしての力量、タレント性である。
 ある、
 はずなのだが、
 『水曜』はそういった「タレントの、芸人の、芸」としての笑いではなく、
 逆転的に、
 タレントとスタッフの関係性まで含んだ「四人の場」を全面に押し出してきた。

 「場」のおもしろさとは、
 例えば、
 友人らと一緒にいるときの、特別におもしろいわけではないのだがなんだか楽しい、
 感覚に近い。
 といったら伝わるだろうか。
 学校の部活動を終えたときの、連帯感と開放感。
 みたいな。

 身も蓋もない言い方になるが、
 大泉と鈴井のタレント性には、疑問があって、
 時折、大泉を他の番組で見掛けたりしても、
 おもしろさが十分に発揮されているようにはみえない。
 それは、
 それだけ彼のスタイルとキャラクターが現在のテレビ番組にとってミスマッチで、
 噛み合っていないことを現しているし、タレントとしての不十分さでもある。
 しかし逆に言うならば、
 それこそが『水曜』の異様で、特別なところなのだ。

 タレント、芸人さんの笑いとは、
 極端に言ってしまえば、
 自らの笑いのスペース(場)にお客さんを引きずり込んで、
 ねじ伏せるように笑わせる、ことである。だいたい。
 そーすることでお約束な遊びや、シュールな楽しみや、
 爆発的なおかしみが生まれ、
 お客さんは「不安」を取り除かれて安心して笑うことができるのだ。
 しかし、
 笑わせるもの、「芸人」と、
 笑うもの、「お客さん」との、
 線引きされた境界は絶対であり、生じた「場」の空気は守らなくてはならない。
 ある意味では非常に不自由で、秩序が厳守されているわけなのだ。
 芸人さんが、
 たとえビールケースの上でもいいから、お客さんよりも高いところに、
 ブラウン管の中でも、遠いところにいなくてはならないのは、そのためなのだ。
 その距離、
 その線引きが、絶対なのだ。
 と、おもうことにして。いただいて。

 大泉、鈴井のタレント性を完全に否定するわけではないが、
 『水曜』の「四人」の場においては、素に近い笑いの感覚が勝ってしまっている。
 それは四人のそれぞれの方向が、
 それぞれではあるが、
 四人という内輪に向かって放たれ、反響し、
 共鳴し、増幅された、「笑い」だからだ。
 そこには自然とうまれる囲いのような、閉鎖的な感覚はあるのだが、
 目の前のニンゲンを笑わせるために、
 大きな声でバカをやり、
 大きな声で笑って応えるヒトタチが、おもしろくないはずがないのだ。
 と、おもう。
 番組を作るスタッフ側にも、そのおもしろさに対する確信があるはずだし、
 だからそれを許しているのだとおもう。
 そして矛盾するようだが、
 その笑いの、おもしろさこそ、
 大泉を含めた四人の才能、タレント性ではないかと、おもう次第なのでございます。

 『電波少年』には、企画以上のおもしろさはあまり必要とされなかった。
 旅の経過やハプニング、言動や身形の変化等々、
 ポイントはたくさんあっても、
 そこに猿岩石である理由、
 ドロンズである理由は求められなかった。
 誤解を生むような言い方になってしまうが、誰でも良かったのだ。
 言ってしまえば。
 なぜなら主役は、「企画」だからだ。
 それが『電波少年』のスタイルだったのだ。
 誤解無きように。

 『水曜』の企画とは、出オチに似ている。
 シンプルすぎる「企画」は番組内で発表された時点で、
 その役目を完全に終えてしまう。
 だから番組の主役は、
 企画の達成でも、ゴールでも、経過でもなく、
 四人と、そのしゃべくる、場になった。

 それが亜流でも、何匹目かのドジョウとしてでもなく、
 オリジナルとして人気を博し、
 ローカルの一番組でありながら全国区的な支持を獲得した、所以なのではないだろうか。

 ええ。
# by y.k-ybf | 2005-04-04 22:39 | テレビ | Comments(2)

『ドッグヴィル』

ドッグヴィル コンプリートBOX
/ ジェネオン エンタテインメント
ISBN : B0002AP1WK



 なんて映画かと、唖然としてしまう。
 勿論、
 ストーリーに関してだけ、だが。


 いつにもまして偏った感想になりますので、
 興味がない方は飛ばしてください。。。



 前作『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もそうであったが、
 とにかく悲劇を編み上げようと必死なのである。

 「物語」というものは喜劇悲劇であれ、
 所詮は作り物のストーリーが結末に向かって進むだけのものではあるが、
 この監督さんのやりくちは、
 あまりにも露骨で、破綻的で、趣味に走りすぎている。
 気がする。

 陳腐な結末とか、な。

 それが悪いかどうか、という話ではなくて、
 はたして、それを共感できるニンゲンが、どれほどいるだろうか。
 ということ。
 この世の中で、監督以上にこの映画を愛しているニンゲンが、どれほどいるのだろうか。
 ということである。

 ついでにメイキングも観たのだが、
 期待に応えてくれる壊れっぷりを曝してくれる。
 (また、メイキングとしての出来も、ひどかった。)

 『ドッグヴィル』という映画は、一つの小さな村の話である。
 それも、スタジオに子供のママゴトのように白線で区切っただけの、
 壁も窓も屋根もない、簡単なセットがあるだけ。
 だからカメラは常に村全体を、村人全員を映すことになる。
 直接な絡みも関係もないシーンなのに、
 全キャストが同時に演技をしなければならない。
 それも想像の村の、目に見えない家の中で。
 さらに、区切りが床の白線だけだから、
 自然とカメラの位置も上から見下ろすようになる。

 これは監督の、一種の責任転嫁ではないだろうか。
 悲劇を生みだしたのは自分ではなく、自分たちである。
 この村と、村人と、カメラが映す「世界」のすべてであると。

 ええ。

 素晴らしく、くだらない映画がこうして出来上がったわけでございますが、
 ラストの、
 「ヤング・アメリカン」には、手を叩いて笑ってしまいました。


 たぶん、次の映画も観るのだろうなぁ。。。。。
# by y.k-ybf | 2005-04-03 22:12 | 映画 | Comments(0)

第壱回鉄拳大会、開催。

鉄拳5
/ ナムコ
ISBN : B0007THEUI



 『鉄拳5』がでた。
 ってことで、我が家にて鉄拳大会が開催されることとなった。

 特別にゲーマーってわけでも、
 鉄拳好きってわけでも、対戦格闘ゲーム好きってわけでもないのだが、
 せっかく出たんで。集まってみた。

 暇だというわけだ。

 夜八時、
 各々、マイ・ジョイスティックを持ち寄り、集合。
 とりあえず全キャラ使用できるようにするため、
 デフォルトキャラのエンディングを観ることにする。
 簡単に言えば、
 キャラクターごとにストーリーモードをクリアする、ってことだ。

 で。

 順調にラスボスの「仁八」までたどり着くわけなのだが、
 これがなんだかえらい強くて、
 初っ端から見事に停滞してしまう。

 元々格闘ゲームが得意でもないのだが、かなりのやられっぷりで。

 腕、落ちたなあ。
 とか。
 歳だなあ。
 とか。
 めんどくせえなあ。
 とか。

 いろいろ愚痴りながら、やっとやっとキャラクターが全員揃う。
 明け方六時に。


 しゅーりょー。


 我々は眠い目をこすりながら、解散。
 仕事へ、休息へと、家路につく。

 やり終えた充実感をそれぞれ共有したわけだが、
 たった一つだけ、
 心残りなのが、
 夜を徹して「対戦格闘ゲーム」をやっていたはずなのに、
 一度も対戦をしなかったばかりか、Ⅱコンも接続しなかったと言うことである。


 世界は、またまだ未知に溢れている。
# by y.k-ybf | 2005-04-02 21:48 | ゲイム | Comments(0)

『30-35』 VOL.0 「卒業」


30-35(0)「卒業」
オムニバス 茂木淳一 松田聖子 斉藤由貴 菊池桃子 おニャン子クラブ / Sony Music House
ISBN : B000793ECK
http://www.30-35.com/

 を、買ってしまった。

 このてのノスタル系グッズは正直、
 毎日の変わり映えのない朝食よりも飽き飽きだったのだが、
 この次号の第2弾、
 VOL.1、
 なんだかややこしい言い回しだが、特集はバンド・ブームということで。

30-35 vol.1「もう一回、バンドやろうぜ!」
オムニバス / Sony Music House
ISBN : B0007OE4RY



 コレ。

 んでもって選曲が、コレ。

大迷惑/ ユニコーン
すてきな夜空/ JUN SKY WALKER(S)
GLORIA」/ ZIGGY
Dear Friends/ パーソンズ
JUST ONE MORE KISS/ BUCK-TICK
フレンズ ~remixed edition~/ レベッカ
DIAMONDS<ダイアモンド>/ プリンセス プリンセス
星のラブレター/ ザ・ブーム
ZOO/ エコーズ
GET WILD/ TM NETWORK
ff (フォルティシモ)/ ハウンドドッグ
ビデオ買ってよ」/ カステラ
天井裏から愛を込めて/ アンジー
パヤパヤ/ LA-PPISCH
限界LOVERS/ SHOW-YA
紅/ X

 ご覧のとおり、いわゆる「イカ天」系のバンドは除外されている模様。
 おそらく企画の意図が、
 バンド・ブームそのものではなく、ブームの起因となったバンドに向けられているからだろう。

 しかしそーなると、
 ボウイとブルーハーツが抜けてるあたり、飛車角落ちと言わざるを得ない。
 また、
 ブームとは関係なく既に人気があったレベッカやハウンドドック、SHOW-YAをあげるならば、
 RCサクセションやレッド・ウォーリアーズも入れたほうが良いのでわ。
 TM NETWORKはまたべつの流れのような気もするし、
 エコーズとパーソンズは、
 そもそもこのブームとどれだけ関係があっただろうか。
 あと、万年ブレイク間近のLA-PPISCHとか。
 な。

 収録関係は、たんにレコード会社の問題なので致し方ないとして。
 もうちっとつっこませていただくと、
 Xがブレイクしたあたりはブームも末期で、
 極端なメイクやハードコアな方向へ傾いて、後の「ビジュアル系」へ移行してゆくので、
 そっちで語ったほうがいいのでは。とか。

 なんだかつらつらと文句ばかり書いてしまったようでございますが、
 何が言いたいのかといいますと、
 バンド・ブームってのは、
 個人それぞれの趣向が尊重されたムーブメントの集合体で、
 時期やらなんやらで単純に区切れるものではない、
 てー、ことだとおもうんですね。

 考えてみると、
 このブームの最中、洋楽聴いてたヒトらもいるわけで。
 そーゆーのは、どんな流れにあるのだろうかと、
 ちょいと気になります。

 最後にさらに、加えておきますと、
 このブームで一番ブレイクしたのは、
 じつはレコード屋さん、音楽業界、、、
 よりももっと、楽器屋さんが爆発的に儲かったことは、あまり語られておりません。

 以上でございます。












 わたくしもブームの真っ直中、
 高校のクラスメートとバンドを組みました。
 バクチクのコピーで、名前は「埼玉陸上競技協会」と言いました。

 2曲だけ、ろくにコピーもできないまま、解散しました。
# by y.k-ybf | 2005-03-28 22:35 | 音盤 | Comments(2)

『1980(イチキューハチマル)』


1980
/ ビデオメーカー
ISBN : B00024Z7O8




 1984年という年号は、
 自分にとってはじめて意識的に記憶された年だった。

 ロス五輪があった年で、
 世界中がコカ・コーラの赤色に染まり、
 イーグルサムが飛び回っていた。
 資本主義に丸呑みされてるわけではあるが、
 なんだか自分と世界がリンクされたような、不思議な高揚感があった。

 まあ、気のせいかもしれんがな。

 そんなわけで、
 ジャンプ世代で、ファミコン(ゲーム)世代で、ガンダム(アニメ)世代で、
 ノストラダムスを本気で信じていた自分にとって、
 80年代ってのは、
 モラトリアムでも青春でもなくて、子供時代だったわけだ。
 だから、
 『1980(イチキューハチマル)』という映画で描かれている若者どもは、
 ずっと大人で、
 軽薄で、忌み嫌う存在であった。
 つまり、この映画にノスタルジィ的なものは、
 知識以上の部分では、感じるものは少なかった。
 だから「80年代」というキーワードを抜いたほうが、分かり易い。

 「年をとったからって、大人になれるわけじゃない」
 元アイドルの女性教師(笑)が、泣きながら言った言葉。
 ラストでは、
 占いで聞いた「20年後の未来」の結果を知り、「希望ある未来」を想う。

 この映画は、
 「あれから」20年後の2003年に、作られた。
 監督はケラリーノ・サンドロヴィッチ、
 ご存じのとおり、ナゴムのケラなわけで。

 あの好き勝手やってた人間が、
 あの頃を、好き勝手に映画にした。
 元々、この映画にあるのはノスタルジィなどではなくて、
 過去の自分や、自分たちへの、
 「変わらないよ」と、短い回答なのかも知れない。

 「それでいいんだよ」、と。

 今おもうと、
 80年代は、とても無垢で無知で世間に振り回されっぱなしの時代だったような気がする。
 勢いが早すぎて、新しいものが多すぎて、
 希望と不安がまったく同じ大きさにダブって、どっちも見えなくなっていた。
 でも、今、
 何が違うのかとも、おもう。

 20年後、
 また誰かが、「この時代」を映画に撮るのだろうか。

 そんとき、自分も50になっとるわけか。

 さて。
# by y.k-ybf | 2005-03-22 23:31 | 映画 | Comments(0)

むしろ、レコード・プレイヤー、の、ようなもの。


by yuki-yo
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る